こんにちは。
このブログは私が住職になるまでを綴る期間限定ブログです。
明円寺では11月から2月にかけて、「お取り越し報恩講」といってご自宅に報恩講のお参りをしています。
浄土真宗では一年間の行事の中で最も大切にされている行事で、明円寺では1月8日に報恩講をお勤めいています。
いわゆる「ほんこさん」とご門徒さんの中で呼ばれてるお参りです。
なぜ一番大切と言われているかというと詳しい事は別の記事にいたしますが、報恩講っていうのは浄土真宗の宗祖である親鸞聖人のご命日のお参りなんです。
かの有名な正信偈の作者。この方がいなければ、私たちのいのちは浄土に生まれ仏さまとさせていただくといただくことができませんでした。先に往かれた親しいお方も成仏してるかどうか、迷っているかどうか思い悩む必要がありません。仏として南無阿弥陀仏のお念仏の中に、私と共にあるといただけます。
そういただけますのは、親鸞聖人がお念仏の教えをちゃんと残してくださったからなんです。
なのでなにより報恩講を大切にして親鸞聖人を偲びお念仏の教えを改めてお聞かせいただきます。
その親鸞聖人のご命日が1月16日になります。ご本山西本願寺では1月9日から16日にかけて、七昼夜お勤めいたします。ちなみに今年は親鸞聖人759回忌のお勤めでした。
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▼ コロナ禍で西本願寺が講じた策
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そして、今年は異例の報恩講になりました。コロナウイルスにより参拝者を制限するという対策をとられ参拝は予約制となり、出勤僧侶が大幅に減りご門主もマスク姿です。
とはいえ、知らずにいらっしゃたっりどうしてもお参りしたいとご本山まで来られる方がいらっしゃるので、ご本山がとった対策は「通り抜け参拝」でした。
中外日報の報道でこのようになっていると知りました。SNSではこの状況を見て、「逆によく思い付いたもんだ」「これは名案だ」「いや、ここまでするなら入れるなよ」「いや、せっかくだし座らせるべきでは」と賛否両論でした。
私自身は、素晴らしいと絶賛してしまいました。やっぱりせっかく来てくださった方を門前払いできませんもん。対策をすでに講じてた中でさらに緊急事態発令により追い詰められた、その苦肉の策だと思います。
なにより立ち止まれないということでお参りできる時間が限定され、座って参るより価値が生まれるような気がしました。人気パンダを一目見るために長時間並ぶように、AKBなどのアイドル握手会のそれです。(例えが幼稚)
そういう印象をもっていましたら、とある方の投稿にそうこれだ!と思いました。
「私だったら2周3周したい。何周できるんだろ。やっぱり私も親鸞さまに会いたい。」
私も4,5周はしたいなーと思ってしまいまいた(笑
コロナが落ち着けばこういうことはなくなるかもしれませんが。西本願寺もネット配信に力をいれ、そちらも推しておりましたし。お説教も場所を移してネット配信だけになっていました。
でもやはり違うのです。報恩講の一番の意義は「親鸞さまに会いに行く」なのです。
毎年全国からご門徒や僧侶がそういうお心持ちで西本願寺にお参りします。それが報恩講なんです。
私自身少し忘れていた部分でありました。毎年の報恩講が当たり前になっていて、当然のようにお参りできるものだと参拝していました。
今回コロナ禍で会うことができなくなることで改めて報恩講の意義を噛みしめることができました。法要もネット配信が増えそれに慣れつつありましたが、やっぱり直接会えるが法要の醍醐味です。
なので西本願寺は中止にはしませんでした。お勤めの僧侶の人数は極端に減ってしまいましたが、内容はかわりません。親鸞聖人を偲ぶご文を拝読して、特別な装束をまとい、特別な雅楽を奏して阿弥陀如来を讃嘆いたしました。
お経や雅楽、荘厳お供えお斎、親鸞さまのご真影(お像)を通し五感をもって親鸞聖人に会わせていただけます。
もちろんインターネットで画面越しでも荘厳なのですが。やはり生は違います。少人数の読経雅楽でも身に心に響いてきます。
なので、「通り抜け参拝」は名案だと私は感じました。来年もしコロナ禍が続いたとしてもネット参拝があったとしてもお参りできるなら、この方法を残しておいて欲しいですね。
明円寺もネット配信などコロナ対策を講じていますがそれは本意ではなくあくまでお寺に来ていただくためのひとつの手段です。
いつの日かコロナが落ち着きちゃんと直に現場で生のお勤め法要が気持ちよく開催できて気持ちよくお参りできる日を望みますが、まだまだかかりそうです。
その日まで試行錯誤を繰り返して仏縁にあっていただけるよういたします。今回のご本山西本願寺を見習って。
それでは仏前で会いましょう。
なむあみだぶつ。
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